永遠の平和のために戦争の歴史に学ぶ

日本が戦った九つの戦争

上木嘉郎(うえきよしろう)著
A5判 641頁 

定価3500円(税別)

 

 

 いつの時代も、いかなる国の国民といえども、圧倒的に平和を願う国民が多いと思われるが、にもかかわらず、国家は何故に戦争に突入してしまうのか、国民の願望と国家の権益と正義との乖離 かいりは何故に生ずるのか。ひたすら諸国民が平和を祈念し、願望しさえすれば、国際社会の平和は実現し、持続することができるのか、はたまた、威丈高に戦争 抑止力を誇示すれば、本当に戦争を予防することができるのか、「究極の武力」と言われ、地球上に一万六〇〇〇発も存在しながら、広島・長崎への投下以降一度も実戦に使われたことのない核兵器は、そもそも抑止力たり得るのか、などの基本命題について、戦後の日本人は、国民的論議を避けてきたのではないか。
 第二次世界大戦終結から四〇周年の一九八五(昭和六〇)年五月八日、西ドイツのワイツゼッガー大統領が、連邦議会での演説で、「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる」と述べ、歴史を直視することの重要性を説き、大きな国際的反響を呼んだが、「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなり、況 ましてや未来も見通せなくなる」とも言えるのではないか。この ような視座を明確に持たない限り、「戦後七〇年の節目の年」というお題目を唱えるだけで、日本人は、この「節目」の年を徒過 とかしてしまうことになりはしないか。戦後生まれ世代が、人口の八割を占めるに至った今日、この点の憂慮は深い。二〇年前の村山談話や一〇年前の小泉談話を継承し維持するか否かの議論の前に、過去の戦争の歴史全体を的確に認識することを踏まえて、国民的論議のもとに、日本がこれまで戦った戦争の歴史の総括をすることが不可欠なのではないか。節目を迎えるのは、日中戦争・太平洋戦争だけではないのである。日本の侵略と植民地支配の反省と謝罪をどのような表現で国際社会に対して発信するか、という次元の問題に矮小化されてしまうのではないか。
(まえがきより)