漂流からの生還 ゴンザの魂、羽島へ

橋口 滿著
  326頁    2100円(本体2000円+税)

遂につき止めたゴンザの故郷!

『新スラヴ・日本語辞典』は、1738年ロシアで発刊された日本語辞典である。記載されている日本語は総て鹿児島弁。著者ゴンザはロシアに漂流した鹿児島県人だった。しかし、鹿児島のどこの出身かは今まで誰も特定することはできなかった。

 享保一三年(一七二八)、一一月八日、ゴンザら一七名を乗せた若潮丸は、大坂へ向けて薩摩の港を出帆した。第二二代薩摩藩主島津継豊の命を受けての船出であった。出港時、ゴンザは一一歳であった。父は舵手で、ゴンザに航海術を教えようと乗船させた。最期までゴンザと行動を共にするソウザは三五歳。船は当初は、順風を受けて進んでいた。そのうち、激しい向かい風に苦しめられ、外洋へ押し流され、どこがどこやらわからないまま漂流した。船はとうとうカムチャッカ半島南端に漂着した。そしてみんな上陸したが、一五名が殺されて生き残ったのはゴンザとソウザの二人だけだった。
 ゴンザはソウザの生前『項目別露日単語集』と『日本語会話入門』の二冊を完成させた。ソウザは四三歳で死亡し、ゴンザはその後『新スラヴ・日本語辞典』の執筆を開始。一七三八年一一月七日、彼が二〇歳のとき、同書を完成させた。同年『簡略日本文法』を完成させ、一七三九年、二一歳のときに『友好会話手本集』を完成させた。
 ゴンザの資料発見のきっかけは、当時九州大学教授であった、村山七郎氏が昭和三五年(一九六〇)、モスクワで開催された第二五回国際東洋学者会議で、ソ連の言語学者で最もすぐれた日本語学者のひとり、オ・ペトロワ女史が「A・タターリノフの露日辞典について」という報告のなかでゴンザの辞典に触れたのを聞いたことに始まる。そして、同辞典の日本語は、歴とした薩摩方言であることが判明した。
 その後、多くの研究者たちがゴンザの故郷探しをしたが、判明することはできなかった。著者は四〇年近くかけてゴンザの方言語彙一二、〇〇〇語すべてにわたって、分布状況を調査。その多くが串木野に分布することを発見した。さらに数十回に至る歴史・地理・民俗・方言学的見地からの調査を続行。近年は四〇〇語彙近くの俚言を洗い出し、いちき串木野市の一千人を対象とした徹底調査を行い、遂にゴンザの古里が羽島であることを突き止めた。語彙・文法・音韻・アクセントなどあらゆる分野からの丹念な調査は、五〇年間鹿児島方言の研究を続けてきた著者研究の集大成でもあり、研究の真摯な取り組みと蓄積は、ゴンザの古里特定を盤石なものにしている。