嘆いちゃれない(西日本新聞2009年11月15日「版元日記」掲載)

 嘆きを一言。
 本が売れない。どのような工夫をこらしても、思うように読者を掴むことができない。数年前からインターネットの影響で、全国的に本が売れなくなってはいたものの、印刷代くらいは稼げていた。しかし昨年のリーマンショック以来、まったくといっていいくらい、新刊が売れなくなった。この現象、決して大不況の所為にはしたくないのだが。
 本屋を覗くと、「大不況には本を読む」などというタイトル本が出ていて、どこの版元も苦労しているようで同情相哀れむことしきり。
 嘆いてばかりでも道は開けずの思いで、昨月出版した本が、『鹿児島力』橋口滿著・新書判・770円(税別)。鹿児島に昔から伝わる「しきたり」をまとめたもので、本誌の書評などにも掲載していただき、滑り出しは順調。
 今月出版するのが、『鹿児島の品格』。著者も判型も料金も前述書と同じ。先人が残してくれた「ことわざ」を抜粋し、子どもたちに、未来を生き抜くための道しるべにして欲しい。タイトルは、どこかの出版本の贋物のようだが、内容は雲泥の差がある。矜持をもってお薦めすしたい。 


鹿児島県は排他的?(西日本新聞2009年7月19日「版元日記」掲載)

 鹿児島県のイメージを他県の人に尋ねると、ほとんどの方々が武の国とか、男尊女卑が激しい土地柄とか、他国人を受け入れない排他的な県民性だと答える。
 そして、鹿児島県人に薩摩方言の由来を訪ねると、他国人を薩摩に入れないために、藩が考案した言葉だと答える県民が多いが、真相は不明。
 鹿児島県人は他県の人を本当に受け入れなかったのだろうか? 歴史書を紐解いてみると、決してそうではないことが分かる。
 約四五〇年前から、鹿児島県内到るところに西洋人の足跡が残っているのは、多くの文献で目にすることが出来る。一五四三年にポルトガル人が種子島に来て鉄砲を伝えたことや、一五四六年には弥次郎がザビエルを案内して、鹿児島へ来たのは、有名な話だ。
 この春『波うちぎわのSatsuma奇譚』宮澤眞一著を出版した。外国人が、鹿児島各地に残した足跡を記した一冊である。ひと味違った鹿児島の魅力が、満載されている。

 この夏ちょっと変わった目線で、本を片手に異国情緒漂う鹿児島県内を散策するのも乙なものと思うのだが?

 

 

 『明るい話題を探そう』(西日本新聞2009年2月18日掲載)

 今年の元旦は、世相を反映したのか雨だった。そのために初詣は二日に行った。自宅から4キロほど離れた神社に、家族の健康、商売繁盛、ロト6の一等当選を願って例年になく長い時間お参りした。おみくじも引いた。何年ぶりだっただろう大吉に、賽銭をは弾んだかいがあったと喜んだ。
 一〇〇年に一度の大不況といわれて始まった二〇〇九年もあっという間に二月中旬という早さだが、今のところ初詣の御利益はまだ受けていない。
 大不況は、サブプライムローンやリーマンショックの影響で、昨年九月から急激にやってきたようにマスコミでは騒いでいるが、我が社では不況の訪れは三年前ぐらいからだった。
 それ以前は自費出版をひと月に一本こなしていたが、昨年は年間五本しか受注できなかった。企画本もなかなかの苦戦。それでも、NHK大河ドラマでブームになった「篤姫」関連の出版もあって、どうにか乗りきることが出来た。
 問題はこれから。全国では、日増しに深刻化する派遣労働者の解雇問題や年金に消費税。県内でも、薩摩川内市に計画される原子力発電3号機の増設や、水俣病の未認定被害者救済と問題は山積みだ。
 でも、暗いことや難しいことばかり言っていても、なにも明るい展望は望めない。そこで、県内の明るい話題を探してみた。
 まずは、種子島から打ち上げられたH2Aロケット15号機の成功。一緒に打ち上げられた小型衛星七基も全て成功し、多くの人たちに夢を与えてくれた。一人の女性が生涯に生む平均の子供の数を市区町村別で調べると、県内の伊仙、天城、徳之島、和泊の四町が全国の一位から四位を占め、また上位三十には十一市町村が入ったという二月初めのニュースもあった。汚濁な世を生きる大人にとって、赤ん坊の無垢な笑顔は心を和ませてくれる。
 見通し暗い今年だが、明るい話題をなるべく探し、心豊かな年にしたいと思う。遅ればせながら一年間よろしく。

 

『ポスト篤姫考』(西日本新聞2008年12月24日掲載)

 終わった終わった。鹿児島を大いに盛り上げてくれたNHK大河ドラマの「篤姫」が終わった。
 二年半前に、大河ドラマが「篤姫」に決まってから、鹿児島では県民が一致団結して、篤姫効果を最大限に享受しようと、色々なアイデアを出し、また行政も多くの予算を組み込み、今年に望んだ。 そのかいあって、今年の鹿児島は、全国で不景気風が吹き荒れる中、篤姫効果を大いに堪能出来たと思う。
 大河ドラマが始まるまでは、篤姫という人物を知らなかった、と鹿児島県人の多くが言っていた。が、今では「篤姫は鹿児島の偉人だ」とか、「篤姫なくして鹿児島は語れない」などと言う人たちを多数見かけるようになった。
 私事で恐縮だが、弊社では五年前から、鹿児島人物叢書を企画して、現在まで五本の叢書を出版した。今後も鹿児島県が生んだ色々な偉人を取り上げる予定であるが、叢書を企画した段階で篤姫も入っていた。
 千載一遇のチャンスとばかりに、著者を叱咤激励して、昨年六月「天璋院篤姫」を出版することができた。お陰様で篤姫効果を十分に受けたことは言うまでもない。
 大河ドラマが終わった今、何かぽかんと空洞が出来たような気がする。篤姫効果に浮かれすぎて、次なる企画がなかなか浮かばない。県は「ポスト篤姫は篤姫」などと言っているが、そんなに篤姫の人気が長く続くとも思われない。
 私の友人に歴史作家がいる。彼は「鹿児島県人は、郷土の偉人を略歴まで含め五人以上言える人は少ない」という。一方、同じ質問を東北県人にすると、五人どころか十人以上答えられる人が大半だというのだ。
 そこで、私の考えたポスト篤姫だが、この機会に、県民が鹿児島の歴史を勉強し直し、郷土の偉人を十人以上答えられるようになるというのはどうか。今年の鹿児島はNHKの褌で相撲をとったような感じだが、次なる相撲は、県民の力でと思っている。

 

『老舗書店の閉店』(西日本新聞2008年11月12日掲載)

 十一月も半ばになり、今年も残すところという時期になった。クリスマスのイルミネーションが店先を飾り、一年の速さを否応なく感じる季節である。
 今年を振り返ると、鹿児島は篤姫効果で盛りあがった。弊社も少なからず恩恵を授かったが、喜んでばかりはいられなかった。
 鹿児島の活字文化を支えてくれた地元の老舗書店が数店閉店したのである。閉店するまでは、郷土の本を大事にしてくれて、出版するたびに沢山仕入れてくれた。また、あまり売れそうにない本でも、必ず店頭に平積みしてくれた書店がである。
 店じまいの理由は、はっきりしている。ここ数年中央資本の大型書店の鹿児島進出が続いている。規模の大きさや、書籍の在庫数、タイトル数は老舗の書店がひっくり返っても到底太刀打ちできない。今までも採算ギリギリで経営していたのに、この先は完全に赤字へ転落ということは想像に難くない。赤字幅が大きくならないうちにというのが本音のようた。
 大型書店の鹿児島進出は、読者にとっては大変ありがたい。ベストセラーは書店の入り口に、高く積まれて、いつでも大都市と同じように手に入る。入手に時間のかる、稀少価値の高い本も、チエーン店の強みを生かして、置いてある店からすぐに取り寄せ、読者に短時間で提供してくれる。
 大型書店は、利便性が良く、ありがたいのだが、地元出版社にとって、決して歓迎できることばかりではない。
 売れる本は沢山仕入れてくれるのだが、売れなくなると返品も速い。新刊でも読者層が限られている本は数冊しか仕入れてくれないところもある。作家の名前を知らなかったり、創業二〇数年もなる弊社の名前をしっかり覚えてくれていない店員が居たのには驚いた。
 小さな店構えでも、書籍に対する知識が高く、長い期間平済みしてくれる書店が少なくなった現実に直面し、鹿児島の活字文化の将来に一抹の不安を抱える年末となった。

 

桜島の名前の由来(西日本新聞2008年11月2日「版元日記」掲載)

 今年は篤姫ブームで、鹿児島は大いに盛り上がった。
 鹿児島県といえば誰もが思い浮かべるのが西郷、桜島、焼酎、島津氏、サツマイモ。地元では、この五品目を薩摩の5Sと自慢する。
 先月、江平望著「拾遺 島津忠久とその周辺」を出版した。島津氏の始祖である忠久の出自を調べたものであるが、今までに「島津忠久とその周辺」「改訂 島津忠久とその周辺」を出版し、さらにそれを補った七つの小文である。
 小文の一つに「『桜島』命名の由来」がある。
 桜島は鹿児島のシンボルとして無くてはならない島である。噴煙に時たま悩まされるが、鹿児島県民としては、桜島無くして鹿児島のことは語れない。
 鹿児島県民にとって大事な桜島なのだが、なぜ桜島という名前がついたのか理由を尋ねると、ちゃんとした回答を答えられる県人は案外と少ない。
 本書小文は史料をもとに考察し、桜島の名前の由来を揺るぎないものにしている。
 篤姫効果はまもなく終わる。足下を見つめ直す機会と思う。一読をおすすめしたい。

 

『戦争の悲劇伝える難しさ』(西日本新聞2008年10月1日掲載)

 早いもので過日八月十五日は、日本が戦争で敗れて六三年目であった。戦争体験者が年々少なくなり、戦争の悲劇が風化されていくのを心配しているのは、私一人ではあるまい。
 私は戦争を体験したことはないが、特攻基地のある知覧に生まれ育ったことと、仕事が出版という縁に恵まれ、これまで戦争を題材にした本を何本か出版し、多少なりは戦争の悲劇を知っているつもりだった。
 数年前から、知覧特攻基地を題材にした子ども向けの本は出版できないものかと、相談を持ち掛けられていた。二年の歳月をかけ『大地からの祈り―知覧特攻基地―』植村紀子著を、今年八月十五日出版することができた。
 タイミングが良かったのと、珍しさも手伝ったのだろう、多くのマスコミが取り上げてくれた。お陰様で、盆休みの期間中にもかかわらず、全国各地から注文の電話を頂いた。
 十冊もの注文をくださった方がいた。故郷の小・中学校の子ども達に読んで欲しいため寄贈するとのことである。が数日後に返品されてきた。本といっしょに数枚の手紙が添えられ返品理由が記されていた。
 「特攻隊員の愛国の情、そして祖国存続の危機の為に後に続く者を信じて勇ましく征った事と思います。どうも私の思惑と違うように思いますのでお返しいたします」と書かれていて、本の内容についても、自分の思惑と違った点を次のように列記していた。矢印の前が本の記述、矢印の後がこの人の考えである。
 不幸な時代→時代背景をどう見るか。
 最も悲しいできごと→祖国存続の危機の為に戦ったのです。
 非常な戦争→戦争です。
 みんな泣いています→誰が国を守るというのでしょうか。
 等々、そして自分が従軍看護婦であったことと、敗戦直後ソ連兵のとった非情な行動が、事細かく記されていた。
 未来ある子ども達に、平和のメッセージを伝える出版ができたと喜んでいた矢先、前述ような手紙を頂き、戦争の愚かさや、悲惨さを伝える難しさを痛感した。

 

『読者を欺く出版』(西日本新聞2008年8月6日掲載)

 「産みの苦しみ」という言葉がある。広辞苑では「子を産むときの甚だしい苦痛。転じて、物を作りだし、事を始めるときの苦しみ」と書いてある。
 私は男性のために、産みの苦しみを味わったことはない。しかし現在、子どもが二人現役大学生のため、育ての苦しみを味わってはいるが。
 出版という仕事を始めてから、「産みの苦しみ」という言葉を図らずも使うようになった。著者のご苦労に対して使うのである。
 一冊二〇〇頁の本を出版すると、四〇〇字詰め原稿用紙で、約三〇〇枚が必要になる。
 多くの資料を集め、知識を蓄え、文章の構成を考えながら書いていくと、一年を執筆に要したという著者は結構多い。また弊社で出版した、鹿児島方言大辞典は、著者が五〇年近くの歳月をかけた大著である。
 鹿児島では、昨年からNHK大河ドラマ「篤姫」の影響で、篤姫ブームが興っている。弊社でも、ブームに乗り遅れることなく、どこよりも早く史実に基ずく、篤姫の本を出版したくて寺尾美保氏に執筆を依頼をし一年前に「天璋院篤姫」出版した。
 史実に基ずく篤姫は、資料調査から始めなければならない。私の催促は度々で、寺尾美保氏は相当な苦労をしたことと思うが、数カ月で脱稿してくれた。「産みの苦しみ」をほとほと味わったに違いないと恐縮している。
 お陰で本は順調に売れた。彼女も講演に引っぱりだこで、現在も大忙しである。さらには地元新聞社が設けている南日本出版文化賞を今年彼女は受賞し先月受賞式があった。「産みの苦しみ」が報われたのである。
 最近有名人の本が多く出回っている。さも本人が書いたかのように店頭で、うずたかく積まれているが、実はゴーストライターが聞き書きするやり方で、知名度を最大限に利用し、多くの本を売る出版社のやり口である。
 一冊一冊に心血を注ぎながら出版してきた弊社としては、ただ売れればいいというような出版は、読者を欺くようで出来そうにない。

 

日中の架け橋を願い(西日本新聞2008年7月13日「版元日記」掲載)

 この夏、中国でオリンピックが開かれる。アジアでの開催は日本、韓国に続き三番目で、同じアジアに住む者として成功して欲しいと願っている。
 中国は、昔から世界の国々が興味を抱いていた国である。清末の頃には先進諸国が自国の配下に組み込もうとして、競って侵略戦争を起こしている。アヘン戦争は最たるもので世界歴史に欠くことはできない。
 八月に「s・ウェルズ・ウィリアムズ生涯と書簡」F・Wウィリアムズ著・宮澤眞一訳を出版する。s・ウェルズ・ウィリアムズはアメリカの伝道師で、在中四十三年、中国布教と中国・日本開国に生涯を献げその崇高な人間像は、読者に感銘を与える。
 特筆すべき点は日本への訪問。モリソン号での初来日や、日本を動転させた黒船でペリー提督の通訳官としての訪問。その後も数回訪れて日本の印象を記している。
 本書は一八八九年英文原本の本邦初訳で、序言は魯迅博物館副館長の黄氏に書いていただき、印刷・製本は北京で行った。この本が少しでも日本と中国、そしてアメリカの架け橋になってくれれば幸いである。



田舎は善きもの(西日本新聞2008年6月1日「版元日記」掲載)

 高度成長とともに、都会は善きもの、田舎は悪しきもの、と日本では区別されるようになった。
 いつも、東京が中心で、田舎はなおざりにされてきた。
 特に方言は悪の象徴のような扱いを受け、昭和三十年代前半までは、小学校で方言矯正指導が行われた。
 しかし、十数年前から、地方見直しの傾向が顕著となり、消滅傾向にあった地方の伝統行事や方言を、各々の県民が一丸となり消滅をくい止めた。
 最近では故郷検定が全国的にブームとなり、故郷見直しの本がどこの県でも出版されている。秋田県では、行政が中心となり、秋田の方言本が出版されて話題を呼んだ。
 弊社も数年前から、「鹿児島方言大辞典」や「鹿児島弁」のシリーズ本を、十数冊手がけた。また先月は「残しもんそや川内方言」(福冨則義・一三六五円(税込み)を上梓した。
 貴重な方言や伝統行事を消滅寸前で活字やビデオ等で残すことができたが、方言を話せる人や、伝統行事本来の姿を知る人が少なくなってきた。世の趨勢とはいうものの淋しいかぎりである。



『天璋院篤姫展を見に行こう』
(西日本新聞2008年4月30日掲載)

 季節が変わるたびに、心はウキウキしてくる。特に春の今頃は、鳥が鳴き、花が咲き、地球の見えざる力が、私の体に活力を与えてくれるようで、生きている喜びを感じる。
 数年前まで、本の営業と新しい情報を求めて、四カ月に一度、季節が変わるたびに日本の首都・東京へ出かけていた。
 時々刻々と変化する大都会東京に接するたびに、エネルギーが体の底から湧き出てくるような気がして、得も言えぬ満足感に浸ることができた。また反面、鹿児島の自然と、暮らし良さを再認識させてくれてたことも、確かであった。
 それが、年に一度の東京詣でに変わったのは、五年前からである。理由は、東京にあまり魅力を感じなくなったこと(自分の成長が止まったのかもしれない)と、年齢が五十近くになり、出張そのものが、きつくなったためである。
 今年三月、春の訪れに合わせて一年ぶりに東京の空気を吸ってきた。南九州出版協会が、東京遊楽館にて出版フェアを開催し、その後始末をするのが、最大の目的であったが、年に一度の東京である三泊四日の日程にして、久し振りの東京を満喫してきた。
 都合よく、江戸東京博物館では、二月十九日から四月六日まで天璋院篤姫展が開催されていた。東京・大阪・鹿児島三会場で、巡回開催されることは知っていたが、一日も早く見たくて足を伸ばした。
 篤姫展は、当時使われていた調度品や数多くの歴史資料などが展示され、鹿児島市や指宿市にある篤姫館とはひと味違った趣の展示会であった。特に、篤姫や幾島が書いた手紙が展示されている場所では釘付けとなった。手紙の一行一行から、彼女たちの必至で生きている姿が垣間見られ、また、当時の鹿児島の偉人たちの活躍が脳裏に浮かび、感慨にふけった。
 鹿児島展は九月六日から十月十七日まで黎明館で開催される。鹿児島の歴史を再認識する絶好の機会だ、足を運んでもらいたい。

 

遅ればせ西郷南洲(西日本新聞2008年3月23日「版元日記」掲載)

 昨年(二〇〇七)は、鹿児島が生んだ偉人西郷南洲の生誕一八〇年、没後一三〇年の節目に当たった。西郷南洲の遺徳を偲んで鹿児島県内では様々な催しが開かれた。
 今年も、NHK大河ドラマ「篤姫」の影響で西郷ブームは続いている。
 遅ればせながら二冊を刊行することにしており、その一冊が鹿児島人物叢書『西郷隆盛―無私と胆力の人―』上木嘉郎著B6判一五七五円(税込み)である。
 手前味噌にはなるが、著者の私見をなるべくはぶき、西郷の生涯をわかりやすく解説している。西郷を勉強しようと思うなら、手にしたい一冊である。
 著者は熊本県松橋久具村(現・宇城市松橋久具)出身。久具村は西南戦争にのとき百戸あった家屋が七戸しか残らなかったという激戦地である。昔の久具橋には蜂の巣状に無数の弾痕の跡が残っていたという。
 さぞやアンチ西郷と思いきや、西郷崇拝者で、西郷から学べと書いている。
 将来の見通しが決して明るくない今の世の中、西郷は、もう一度しっかり学びたい人物である。

 

毎日の習慣(西日本新聞2008年2月27日掲載)

 毎朝五時半に起床して、ストーブに火を入れることから私の一日は始まる。お湯を沸かし、お茶を入れ、御先祖様を祀ってある仏壇に、お茶とお水をお供えする。そして、ローソクに火を灯し、線香をあげ、リンを鳴らしながら念仏を唱え合掌礼拝をし、今日一日の無事をお願いする。
 その後、いつもの指定席に腰を下ろし、自分で入れたお茶(日本茶しか飲まない)を飲みながら、お菓子(和菓子しか食べない)をほおばり新聞を開く。一日の最高の至福の時間の始まりである。
 毎朝この時間を楽しみに、いくら寒くても、昨日飲み過ぎて二日酔でも、またどんなに昨日の疲れが残っていても、家族の誰よりも早く起きる。
 新聞を読み始めてから半時間ぐらいが経過し、部屋も暖かくなってきたころに、女房が起きてきて、朝食の準備に取り掛かる。
 至福の時間が終わるころには、朝ご飯を食べるという旨い具合にできている。
 しかしたまーに至福の時間を壊されるときがある。
 先ずは、新聞休刊日。習慣とは恐ろしいもので、新聞が無いので朝早く起きる必要はないにもかかわらず、布団にいつまでも入っていることができない。時間通りに起きるが、することがない。テレビを入れてはみるものの、朝はテレビを見ない我が家では、テレビから流れてくる音声は雑音にしか聞こえない。結局は昨日の新聞を再読する。
 一番厄介なのが、女房が珍しく早く起きてきたとき。直ぐに朝食の準備に取り掛かればいいものの、一緒になってお茶を啜りだす。そして仕事の段取りのことや、子どものことなどを私の耳元で話し出す。女房の声が邪魔をして、新聞は字面を目で追うばかりで、内容なんていっこうに頭に入らない。
 至福の時間を壊された私は、一日狂ってしまったように感じる。女房よお願いだから早く起きないでと、哀願すのが毎朝の習慣であることも付け加えておこう。

 

老後は如何に(西日本新聞2008年1月20日「版元日記」掲載)

 彼は、サラリーマン生活を終えて、昨年定年を迎えた。
 退職後は、会社にしばられることなく、自分の思い描く人生が送れると夢を膨らましていたが、定年後まもなく考えの浅はかさに気づく。これからは組織の後ろ盾もなく、自分の力で生きて行かなくてはならないことに、不安を抱いたのである。
 残りの人生、如何に過ごせばいいのか? 残された時間を使い、満足のいく死の準備はどのようにすればいいのか? を考えるが、いっこうに良案が浮かばない。
 出した結論が、四国八十八ヶ所巡礼の旅であった。「何も得ることがなくてもいいじゃないか、先ずは挑戦。その後のことは完歩した後に考えればいい」と。そして巡礼へと旅立つ。
 約ひと月半掛かった巡礼の旅は、文明の利器に頼ることなく、自分の足だけで達成した。
 その旅日記が昨年十一月に、弊社から出版された『四国八十八ヶ所お遍路さん旅日記』(永田龍二著・一四七〇円税込み)だ。
 団塊の世代が今年から定年を迎える。後々のヒントになる一冊かも。

 

『出版はタイミング』(西日本新聞2008年1月16日掲載)

 今年の一月六日午後八時、鹿児島県民がまちにまったNHK大河ドラマ『篤姫』の放映が始まった。私の家では、早々に晩ご飯を終えて、家族そろってテレビの前に集まった。放映が始まると、だれからともなく拍手がわき起こった。
 何ともいえない感慨に浸りながら、これまでの一年間を思い起こす。
『天璋院篤姫』の執筆依頼を寺尾美保氏にお願いしたのが数年前。しかし、大作を仕事の合間に書きあげるには、相当時間がかかるため、まだ手つかずの状態だった。
 NHK大河ドラマ『篤姫』放映決定の朗報がもたらされたのが、一昨年(二〇〇六)の秋だった。
 早速、篤姫の本を書店やインターネットで探したが、大河ドラマの原作である『天璋院篤姫』宮尾登美子著の小説しか見当たらない。
 千載一隅のチャンスを逃すものかと、寺尾美保氏の許へ足を運び、是非この機会に書いて欲しい、絶好のタイミングだと執筆をお願いし、了解をいただいた。職場もこぞって後押ししてくれることも約束してくれた。
 私が寺尾美保氏に書いていただきたかったのは、小説ではなく、本物の篤姫像である。
 史実を踏まえた上で篤姫を書くとなると嘘は書けない。史料をひもときながら丹念に調べ上げるので相当苦労をしたようである。
 四月初旬には出版する予定であったが、ふた月遅れの六月に、念願かない出版することができた。
 宮尾氏の小説と史実書の違いが功を奏したのだろか? また多くのマスコミが取り上げてくれたお陰で、発売から三カ月で第三刷りとなり、弊社始まって以来の快挙となった。
 昨年の十月までは篤姫関連の書籍は、宮尾氏と寺尾氏の二本だけだったが、今じゃ全国の出版社から発刊されている篤姫本は三十本に迫ろうとしている。発刊があと数カ月遅れていたらと思うと、タイミングの大事さを教えられた一年だった。

 

『「若き薩摩の群像」の完成』(西日本新聞2007年11月14日掲載)

 鹿児島県の陸の玄関口、JR鹿児島中央駅前に薩摩藩英国使節団のモニュメント「若き薩摩の群像」が立っている。この群像は、一九八二年、鹿児島市が五十万都市達成記念事業の一環として建立したものである。作者は、この秋文化勲章を受章した中村晋也氏。
 薩摩藩は慶応元年(一八六五)串木野市(現さつま川内市)羽島から英国に使節団十九名を派遣した。派遣されたのは、後に大阪商工会議所初代会頭となった五代友厚や、文部大臣森有礼、サッポロビール創始者の村橋久成など。また十四歳という若さで使節団に加わった長沢鼎は、イギリスからアメリカに渡り、葡萄園を経営し、ブドウ王となる。長沢と銘打つワインは、日本でも多くの人に親しまれている。
 モニュメントには、十九名の使節団だったにもかかわらず、十七名分の群像しか建立されていない。建立されなかった二人の名前は、高見弥一(元土佐藩士)と堀孝之(長崎出身)。
 なぜ二人が外されたのか? 理由は簡単、薩摩藩士ではなかったというだけのようだ。
 今年の九月二十九日に、外された二人をモニュメントに追加しようという「若き薩摩の群像を完成させる会」が発足した。発起人代表には島津修久氏(島津興業会長兼社長)。
 島津氏は「よそ者(県外者)を外したとして、鹿児島に偏った狭い了見が残るとみられかねないのは不本意」との思いから、今回の会を発足したのだという。
 一九九〇年に、鹿児島県は薩摩藩英国使節派遣一二五周年を記念し、薩摩藩英国使節団の足跡を訪ね、将来国際交流推進を担ってもらいたいという主旨で、イギリスに若人十九人をホームステイさせた。私もその一人に選ばれ、渡英する機会に恵まれた。
 それ以後、除外された二人のモニュメントの件が心の奥底に引っかかっていたのだが、今回の「若き薩摩の群像を完成させる会」が発足したことを新聞で知り、溜飲が下がった。来年は「篤姫」効果で、多くの観光客が鹿児島県に来られると思う。よそ者と排他することなく温かく迎えてやりたい。

 

『「薩摩の群像」と「薩摩辞書」』(西日本新聞2007年11月11日「版元日記」掲載)

 鹿児島中央駅前広場に「若き薩摩の群像」のモニュメントが立っている。薩摩藩が英国に派遣した使節団の雄飛を記念して、鹿児島市が一九八二年に建立した群像である。鹿児島県立図書館には「薩摩辞書」のモニュメントが立っている。
「若き薩摩の群像」の建立の意義を知る人は多い。しかし、「薩摩辞書」の建立の意義を知る人は鹿児島県人でも少ない。
 薩摩藩が英国に派遣した使節団員は十九名であったが、選考に洩れた三人がいた。彼らには、私費を使ってでも海外を見たいという強い想いがあった。
 彼らは藩庁からお金を借りて上海で英和辞書を作り、それを売りさばき資金源にした。英和辞書は「薩摩辞書」と呼ばれ、思惑以上に売れた。彼らの念願は叶い米国留学をを果たしたのである。
 その業績を多くの方々に知っていただこうと鹿児島県立図書館の協力を得て「薩摩辞書」を復刻したのが十年前。今では図書館でも、簡単に「薩摩辞書」を手にすることができる。先人達の熱い思いを辞書を通して体感していただきたい。

『篤姫ブームに乗り遅れまい』(西日本新聞2007年9月9日「版元日記」掲載)

 昨年秋に08年のNHK大河ドラマが『篤姫』と決定してから、鹿児島県はこの好機を生かし、鹿児島ブームを起こそうと躍起になっている。
 そんなわけでブームに乗り遅れることなく、今年六月『天璋院篤姫』(寺尾美保著・一五七五円)を出版した。ドラマの原作となる宮尾登美子氏の小説『天璋院篤姫』とは異なり、史実を丹念に調べ上げたノンフィックション。
 複数の出版社が今後『篤姫』の本を発刊するという情報を得てはいるが、今のところインターネットで『篤姫』の本を検索してみと、宮尾本と寺尾本の二冊しか見当たらない。その上に小説とノンフィックションという、相反する書き方が功を奏したのか、お陰様で早くも三刷りと好調な売れ行きだ。鹿児島県のベストセラー10には二ヶ月にわたり名を連ねた。
 一つ気懸かりなのは、増刷りするのは嬉しいことだが、どこの書店も本は買い切りでなく委託販売。篤姫ブームが過ぎ去った後、返品される本が、倉庫に山積みになるのではないかと心配だ。

 

『「篤姫」に燃える鹿児島』(西日本新聞2007年7月18日掲載)

 昨年、NHK大河ドラマが「篤姫」と決定してからというもの、鹿児島県は燃えている。この絶好の機会を逃してなるものかと、鹿児島を売り込むために県民総出で躍起となっている。おまけに今年は西郷生誕一八〇年、没後一三〇年の節目にも当たる。力の入れようは異常なほどだ。
 隣県宮崎では、東国原知事が誕生してからというもの、宮崎県がマスコミに取り上げられない日はない。棚からぼた餅の様相を見せている宮崎に、じだんだ踏んでいた鹿児島県としては、大河ドラマ「篤姫」はまたとない絶好のチャンス。先月には配役も決まり今月からいよいよクランクインだ。
 弊社もこの好機を逸することなく、六月に「天璋院篤姫」(寺尾美保著・一五七五円)を出版した。
 大河ドラマの原作、宮尾登美子氏の小説「天璋院篤姫」は読んでいる方は多いと思うが、史実の篤姫は知らないのではないだろうか。そこで大河ドラマが決まるやいなや、尚古集成館の学芸員、寺尾氏に執筆を依頼し、史実に基づくく篤姫像を本にした。
 発刊と同時に鹿児島のマスコミ各社が取り上げてくれて、七月、八月と売れ行きは順調。もしかすると弊社始まって以来のベストセラーになるかも知れないとほくそ笑んでいる。
 上京する機会があった。東京の問屋さんに、高ぶる自分の気持ちを打ちあけた。
 返ってきた返事は、次の通り、
「まだまだ先のことでしょう。十一月頃になったらNHKも宣伝するでしょうから、それからですよ」と、意に反して冷静だった。
 でも十一月になると、大手の出版数社が篤姫に関する本を出すという情報を得ている。中央が本を出す前に、勝負を懸けなければ、地方出版は生き残れない。
  現在の刷り部数は四千冊。それでも千冊売れれば上出来な地方出版にしては多い方である。まだまだこれからと、自分を鼓舞してしながら、この盛り上がりが一過性のに終わることのないように願うこのごろである。

 

『襟を正して』(西日本新聞2007年7月18日掲載)

 『暴利』――広辞苑によると、不当な利益。法外な利得と載っている。よく『暴利をむさぼる』という使い方をされる。
 最近、鹿児島の焼酎が全国的に有名になりすぎて、地元鹿児島でも手に入らない銘柄が増えている。
 インターネットのオークションで、一本千数百円の焼酎が、何万円もの値段を付けて、堂々と売買されていのを目の当たりにすると、まさに暴利をむさぼっている感がする。
 鹿児島のある焼酎メーカーの社長が、東京のデパートで自社の焼酎が陳列棚に並べられて堂々と売られているのを見て、喜んだという。しかし、法外な売価を見て、喜びも一気にしぼんだそうである。
 焼酎メーカーの社長いわく、「鹿児島の芋焼酎が、全国的に有名になり売れることは大変に有り難いことではあるが、決められた以上の値段を付けられると、マネーゲームのための商品としてだけの価値しか認められず、焼酎本来の姿を失い、焼酎ブームが去った後のことを思うと心配だ」
 先日鹿児島中央駅を散策した。東口から、西口へ回ってみると、焼酎を販売しているお店が四店舗あった。そのうちの一店舗では、なかなか手に入らない焼酎が陳列されていた。直ぐに一本手に取ってみた。が、値段を見て驚いた。目が飛び出るような値段が付いている。
 まさか、地元で、ましてや鹿児島の玄関口で、堂々と定価以上の、驚くような値段で売られているとは。誰が買うのか私は聞いてみた。すると旅行客の方々が買っていかれるという。それにしても、あまりにも高すぎるのではないかと聞くと、これぐらいの値段を付けても喜んで買って行かれますよと言う。次の言葉が出なかった。
 鹿児島の先人達が育て上げてくれた芋焼酎が、ようやく全国的に売れるようになった。この焼酎ブームを一過性のものではなく、いつまでも全国の方々に愛されていただくために、先ずは地元鹿児島の人達が襟を正す取り組みが必要だと思うのだが。

 

『三匹目の泥鰌』(西日本新聞2007年7月8日「版元日記」掲載)

 昨年、小学校校長の本を出版した。『いのちの輝き―痛みのあるのは生きている証拠―』(中村洋志著一〇五〇円税込み)。校長が学校の出来事や児童とのふれ合いを書いたもので、見開きで一編が終わるよう工夫した。
 現職校長の強み、売れ行きは上々だった。
 学校シリーズと銘打って今年も企画を立てた。
 一人の先生の単著ではなく、一小学校の先生方全員に執筆を依頼し、教職に就いてから今まで感動したことや、辛かったこと、また失敗したことなどを思い思いの視点から書いて頂いた。
 集まった原稿は、不登校、虐待、失敗談、そして心温まるものや離島で過ごした思い出など、多種多彩。先生方のひたむきな生き方に、涙を流したり、笑ったり、感動したり、考えさせられたり、予想した以上であった。
 タイトルは『こころの軌跡―教師がつづる感動の記録―』鹿児島市立田上小学校編(一〇五〇円税込み)は、出版と同時にマスコミ各社が取り上げ、多くの反響を呼んだ。
 今、三匹目の泥鰌を狙い、構想を練っている。

 

『裏のカラクリ教えて』(西日本新聞2007年6月6日掲載)

 先月、南九州出版協会の総会が開かれた。毎年のことだが、議題をつつがなく終え、本が売れない時勢によく一年間頑張ってこれたことを、皆で肩をたたきながら喜び合った。
 そして酒宴へ。そこでも話題の中心は、どうしたら本が売れるだろうか、いつまで出版業を続けられるか、等々。決して明るい話題は無いのだが、酒の力を借りながら、みんな言いたい放題。これが案外憂さ晴らしとなって楽しい。が、今年は少し違った。
 最近、鹿児島の書店を賑わせている二つの本、鹿児島県観光課が出版した『かごしま よかとこ100選』(全五巻・二巻が既刊)と、鹿児島県環境生活部生活文化課が編集した『語り継ぐ鹿児島の教え集』について話題沸騰となり、酔うに酔えない心境だった。
 その心境とは、次のようなことだ。
 どちらの本も書店に入ると誰の目にもすぐに飛び込んでくるような、一等の場所にうずたかく積まれている。
 行政が地元の歴史、文化、自然そして観光地を、本という媒体を使い宣伝するやり方に、決して反対する訳ではないのだが、定価について、どうしても納得できなかったのである。
『語り継ぐ鹿児島の教え集』の定価一.〇〇〇円(税込み)は、内容・装丁・頁数など考慮しても我々がつける値段とさほど違いはなく、妥当と判断した。
 腑に落ちないのが、『よかとこ100選』A5判、二一六nと二三二n、オールカラーで定価六八〇円(税込み)。この価格で、採算割れをしないためには、相当部数印刷しないと難しい。そうかといって、爆発的に売れる商品とは言い難い。売れ残ったらどうするのだろうか? 他人事とは思えない。仮に我々が値段を付けるとなると、超破格値を付けたとしても二.〇〇〇円が限界である。
「税金だから自分の懐が痛むわけではないし、どうでも出来るだろう」とか、「官による民に対する圧迫」などと厳しい意見まで出た。
 経営苦の中、やっとこさ出版業を営んでいる我々に、裏のカラクリをご教示願いたい。

 

『知覧町なくなるとも』(西日本新聞2007年5月6日「版元日記」掲載)

 鹿児島県の南薩摩に位置する知覧町は、第二次世界大戦時に特攻基地があったところで全国的に有名である。現在基地跡には平和記念館が立てられ、毎日各地から観光客が訪れ、麓にある武家屋敷とともに観光名所になっている。その知覧町も、年末には市町村合併により「南九州市」に変わる。有名になった知覧町の名が無くなるのは寂しいが仕方ない。
 先月『知覧むかしむかし』飯野布志夫著を出版した。第一章は知覧に伝わる伝説や行事が四十六話収録されている。後半の第二章では、「古事記や日本書紀の神代ものがたり」のなかから関連部分を抜粋し、『知覧むかしむかし』と比較対比を試みている。
 行事や伝説の収録者は、著者の父親で元知覧町長飯野武夫氏。武夫氏は南九州の民俗を背景にした神話史の解明に後半生を捧げたが、未発表のまま他界された。それを著者が引き継ぎ、親子二代で完全ではないが神話王国立証を試み出版に至った。町名は無くなるが、知覧に伝説や行事の知的財産が一つ残されたことを喜んでいる。

 

『史実は曲げることなかれ』(西日本新聞2007年4月23日掲載)

 鹿児島が誇る偉人西郷隆盛は、今年、生誕一八〇年、没後一三〇年の節目を迎える。
 多彩な催しが県内各地で計画されているようだが、弊社も昨年出版した「新西郷南洲伝(上)」稲垣哲哉著の続編「新西郷南洲伝(下)」を今秋出版しようと計画を立てた。節目が県の活性化に役立って貰えればと思う。
 それはさておき、先月の新聞に次のような見出が躍っていた。「『西郷が征韓論』削除 高校教科書一社 伊藤知事の要請契機」
 西郷が征韓論を唱えたのは間違いで、遣韓論だったので改めてくれと鹿児島県知事が教科書会社にお願いしたという。
 七社ある教科書会社のうち、一社が改めることにしたと書いていた。また知事は「歴史が正しく理解されるよう粘り強く進めていきたい」と答弁したという。
 なんでと私は思ったが、他にも小首を傾げた方がいたようだ。地元紙の読者の声を載せる場所には、すぐに反響が掲載された。「同時代史料は『西郷征韓論』」とか「西郷隆盛の征韓論は史実」などと。
 西郷隆盛は西南戦争という国内最後の内戦で、五〇年の生涯を閉じたが、明治維新を成し遂げた功績は日本全国知らない人はいない。また彼は多くの人の心にいつまでも生き、近年まで日本の尊敬する偉人のトップ飾っていた。
 しかしこの頃人気に翳りがでてきているという。歴史雑誌社が歴史人物の人気度を最近調査した。西郷隆盛はトップどころかベスト一〇にも入っていなかったという。
 何故そのような結果をもたらしたか。
 ある歴史作家は、鹿児島県民が西郷隆盛の悪いところを全て葬ってしまた所に原因がある、という。そのために西郷隆盛は何の変哲もない人物となり、善し悪しの意見すら戦わすことすらできなくなった。と分析した。
 人間に完璧はない。だからこそ魅力ある人物像が語り継がれ、愛され続ける。西郷隆盛を愛する一人として、史実を曲げてまで誉めそやして欲しくないと思うのだが。

 

『鹿児島県歩(さる)いて雑学王』(西日本新聞2007年3月11日「版元日記」掲載)

 昨年、鹿児島県庁舎の隣の空き地を県が買い取った。まさかとは思うが空き地を他社が買い取り高層ビルでも立てたら、県庁舎から桜島の雄姿が見えなくなる。その為に買い取ったのだと噂された。
 二年前から、新幹線が鹿児島中央―新八代間を走るようになった。鹿児島中央駅ビルの屋上には鹿児島市内が一望できる観覧車がお目見えした。
 観覧車にはまだ乗ったことはないが、二つの建物(県庁舎と観覧車)からの眺望は甲乙つけがたいと知人が教えてくれた。
 それでは、眺望では甲乙つけがたい二つの建物の高さはどちらが高いか?を調べた若者がいる。
 彼は大学時代から自分の本を出版するのが夢だった。大学は卒業したものの、定職には就かず、趣味のサイクリングを活かし、県内を隈無く回り、誰も気づかず見過してしまうような、鹿児島の話題を集めて歩いた。
 そして遂に出版の運びとなった。タイトルは『鹿児島県歩(さる)いて雑学王―くだらないけどおもしろい―』(一二六〇円・岩下英司著)楽しい本が、まもなく店頭に並ぶ。

 

『禁煙』(西日本新聞2007年1月31日掲載)

 三十年間、休むことなく紫煙をくゆらせていがた、五十歳になった昨年の九月に一念発起してタバコを止めた。体調に害を及ぼしていたわけではなかったが、家族の執拗な禁煙要請があったことと、元来血圧の高かった事も引き金となり、思い切ったのである。
 一日に二〇本もは吸っていなかったし、半日吸わなくても平気だったので、簡単に止められると高を括っていた。しかし、ニコチン中毒の怖さを思い知らされた。
 禁煙初日はさほど苦しいとは思わずに過ぎた。この調子だとタバコを止めるなんて、平気の平左と思っていたが、二日目からというものえも言われぬ苦しさに襲われた。
 周期的に禁断症状が出てきて、日を追う毎に周期が短くなってくる。喫煙することに好都合な考えだけが頭を駆け巡り、タバコを吸うことを正当化しようとする悪役の自分が、ささやきかける。『タバコは美味しいよ』と。
 いつもはさほど気にも掛けないことにイライラし、家族に当たりちらしたこともあったし、タバコ自販機に立ち止まったことも数え切れない。その度に善良な自分が『この苦しさに負けるあなたではないはず』と叱咤激励してくれる。
 五カ月目に入ったこの頃、ようやく禁断症状から抜け出たような気がしてきた。焼酎を飲んだときとか、ゆっくりとした時間を過ごすときなどに、時たま吸いたいなと思うことはあるが、我慢できないほどではない。
 逆に、愛煙家がタバコを吸っていると、煙が目に染みて嫌になることもある。しかし禁煙を成功した先輩が、一年以上我慢できないと本物ではないという。油断は禁物だ。
 一つだけ止めて困ったことがある。食事の量はさほど変わっていないのだが、体重が四s太ったこと。お腹は出てくるし、ズボンが合わなくなってきた。
 昨年暮れに室内自転車を購入し、減量に挑んでいるのだが、まださほど効果は現れていない。禁煙効果がもたらした副産物に、悲しむべきか喜ぶべきか。複雑な気持ちだ。

 

『鹿児島の地からベストセラー』(西日本新聞2007年1月14日「版元日記」掲載)

 新年を迎え初詣に行った。お祈りすることは毎年同じ。家族の健康と商売繁盛。しかし今年はもう一つ付け加えた。本年こそは鹿児島の地からベストセラーを出版するぞ!と。
 恐れ戦く目標を立てたのには訳がある。鹿児島にとって、二〇〇七年は追い風甚大でなのである。
 新年の本紙鹿児島版で取り上げていたが、鹿児島の偉人西郷隆盛生誕一八〇年と、没後一三〇年の節目。また、二〇〇八年のNHK大河ドラマには、鹿児島にゆかりのある『天璋院篤姫』と決定している。
 工夫次第では、全国を巻き込み、鹿児島が注目を集める年になると思っている。もちろん出版もご多分に洩れない。
 早速、四月の発刊へむけて『天璋院篤姫』(尚古集成館学芸員・寺尾美保著)の準備に掛かった。ま昨年出版した稲垣秀哉著『新西郷隆盛伝(上)』の下巻も一〇月頃には出版出来る予定になっている。
 今年は、世の中の動静を見据えた出版が出来ると喜んでいる。しかし、皆様の、ご指導ご鞭撻、ましてやご購入無くしては始まらない。ご愛顧の程を切にお願いしたい。

 

『ガンバレ鹿児島』(西日本新聞2006年12月6日掲載)

 今秋刊行した『ガンバレ鹿児島女性編』の出版祝賀会が、鹿児島市内のホテルで先月末に開かれた。
 この本は、将来鹿児島県が暮らしやすい素晴らしい県でありますようにと願って、各界で活躍しておられる方々に、今後の鹿児島が進むべき姿は如何にあるべきかを、それぞれの立場から現状を見据ながら、提言を書いていただき、出版する企画であった。
 今春、十名の男性の方々の原稿を頂き、『ガンバレ鹿児島男性編』を出版し大変な好評を得た。女性編も是非出版して欲しいという多くの方々の刊行依頼に応え、九名の女性の方々に執筆を依頼し、賛同を得た。
 お忙しい合間を縫って書いて下さった原稿は、眼からウロコが落ちる玉稿ばかり。誌面の都合により執筆者名とタイトルを、この欄で紹介出来ないのは残念ではあるが、是非お近くの書店に足を運んでいただき、手に取ってページを捲っていただきたい。
 祝賀会には、一五〇名を超す多くの方々が足を運んで下さった。いつもなら、この様な祝いの席では必ず残ってしまう料理も、今回は、女性が約七割をしめたのが影響したのか、見事なまでに綺麗に無くなってしまった。
 主催者としては、残ってしまうより平らげてくれた方がありがたいが、反対にみんな満足してくれただろうかと、心配になった。
 また、面白いといっては失礼かもしれないが、オムニバス的な出版のお陰で、いつもは目にすることのない光景を、会場のあちこちで見ることが出来た。異業種はもちろんのこと、分野に拘らず原稿を依頼したお陰で、考えの相反する方々が同じテーブルに着きニコニコと談笑している。『呉越同舟』の言葉がピタリの雰囲気に、酔いも手伝って心が和んだ。
 鹿児島県のお国柄と言えば、昔は男尊女卑が代名詞だった。が、今は女尊男卑ではないかと思わせるほど、女性の活躍はめざましい。『ガンバレ鹿児島女性編』と男性編が、鹿児島県にどれほどの影響を与えるかは分からないが、鹿児島の未来のために一読をお薦めしたい。

 

『生きることに方法論はない』(西日本新聞2006年11月5日「版元日記」掲載)

 「僕の人生の中で、出版がダントツ大きいバクチや。何千万っていう金額をかけるたびに、負けたことを想像して発狂しそうになる。でもそれが出版の醍醐味なんやなぁ」(「きょう・反比例 編集者竹井正和」フォイル刊)。
 先月読んだ本の一冊である。同じ出版人として身につまされる。
 弊社では『ガンバレ鹿児島 男性編』(一五七五円)を今春出版した。男性十名に鹿児島の将来について提言してもらい、それを一冊にまとめたものである。が、反応は今一芳しくなかった。
 近く九人の女性の方々に男性編と同じ主旨で原稿を書いていただき『ガンバレ鹿児島 女性編』(一五七五円)を出版する。果たしてどこまで健闘するのか、男性編の苦い経験が、私の心をネガティブしている。
 竹井正和の本の帯には「生きることに方法論はない。探しつづけたヤツだけが見つけることができるんや」と書かれていた。
 私の人生、発狂して終わるかもしれないが、体力が続く限り、自分流の生き方を探し続けたいと思う。

 

『石坂下いとこ会』(西日本新聞2006年9月27日掲載)

 親戚の集まりが、九月第一土・日に執り行われ、バスを貸し切り、高千穂へ一泊二日の旅行を行った。
 名称は『石坂下いとこ会』。父方のいとこが、先祖を敬うためと、血のつながりを再認識し、親交を深める為に、二十年前から始めた。年齢は上は七十六歳、最年少が五十歳。
 遠くは福島から。東京や福岡、そして熊本からも参加する。十数年前、いとこの一人が亡くなるという悲しい別れがあり中断したこともあったが、数年前から復活し、毎年恒例の行事となった。
 父方の家系は代々医者を営み、知覧では有名であったらしい。祖母は熊本から嫁いできていて十人の子どもに恵まれた。昔は相当の資産家であったらしいが、世の中の趨勢というか、私が物心ついた頃には、祖父母も父も他界していて、資産家の面影は何一つなく、一家は離散し、父方の家族が一堂に会することなどは、いとこ会が開かれるまでは無かった。
 時は昭和五十年代に入り、世の中が経済的に安定してきた頃の、ある親戚の祝い席だったと思う。いとこ会を開催しようという話になり、トントン拍子で第一回が、鹿児島市のホテルで開かれたのが、二十年前であった。
 初回の時私は、会に参加した人たちがどのような血縁なのか皆目分からなかった。が、血のつながりとは不思議なもので、時間が経つうちに、顔形や頭髪の薄さ、そして性格までもが、自分と良く似ていることに気づいた。初対面なのに、前に一度は会したことがあるような気がするから不思議である。『血は水よりも濃い』と言われるが、このときほど痛切に感じられたことはない。
 昨今親兄弟でも、平気で殺し合うような事件が各地で起きている。そんな世の中、このような行事が毎年行われることに、我が親戚(いとこ)を誇りに思う。
 いとこたち誰もが高齢となり、年に一度の参集がいつまで続けられるか分からぬが、一年でも長く続けられるように、みんな元気に暮らして欲しいと思う。

 

『変わったのは大人』(西日本新聞2006年9月10日「版元日記」掲載)

 長い夏休みが終わり、子ども達が夏の思い出を胸に登校している。それにしても最近マスコミからは、毎日のように子どもが関与している、凶悪なニュースが流れてくる。
 八月に出版した小学校校長中村洋志さんの『いのちの輝き』(一〇五〇円)には、こうある。
 「『春がくると 靴下をぬげるからいいな』私にはこの詩の意味が分からなかった。しかし、重要な意味があることを知った。彼女は、家庭の事情で、靴下を二足しか持っていなかった。ほとんど毎日同じ靴下をはいて登校し、みんなから、くさい、汚いといわれていた。この二行詩には彼女の願いのすべてが込められていた」
 教職に就いて間もない頃の思い出である。この二行詩が、子どもの理解の出発点と言う。また「最近子どもが変わったと言われているが、変わったのは大人と、社会であり、先ず大人たちが子ども達に模範を見せなくてはならない」と書いている。
 未来ある子どもの健やかな成長を祈って、この秋、読んでいただきたい一冊である。

 

『敗戦記念日と出版フェア』(西日本新聞2006年7月26日掲載)

 今年もまた、暑い夏がやってきた。せみ時雨が激しく、にぎやかになればなるほど、日本人には、八月十五日敗戦という忘れたくても忘れられない悲しい過去が、いや応なく体の奥底からよみがえってくる。
 先日、県外からの友人を誘って、知覧の特攻平和会館を訪れた。
 平和会館に行くたびに、悲惨な戦争を二度と繰り返してはならないと痛感させられる。
 いつ行っても観光客でごった返していた記念館が、今回は閑散としていた。館の職員に何故なのかを尋ねると、ここ数年、来館者が年々少なくなって来ているという。敗戦から六十数年が経ち、戦争体験者が少なくなってきている今日、戦争の悲劇が風化されてきているのではないだろうかと、危ぶむ顔で私に答えてくれた。
 隣国の北朝鮮では、愚かとしか言いようのないミサイル実験を、世界各国の非難を浴びながらも強行している。いつ飛んでくるかわらないミサイルに、日本人はおびえることなく、人ごとの様に楽観し、メデアが騒ぐほどには、世論は沸騰していない。
 なぜ、今のような平和を享受できているのか? 敗戦記念日の八月十五日をまもなく迎えるに当たり、国民こぞって考える時期であるとおもうが、いかがなものか?
 夏、もう一つ見逃してはならない催しがある。毎年恒例の「南九州ブックフェア」(南九州出版協会主催)。鹿児島市は天文館のブックジャングルにて、八月一日から同月三十一日まで開催される。今年は七回目となった。メーンタイトルは「知ってる? 鹿児島」。
 活字離れの進む中、鹿児島関連の本を地道に世に送り出している協会会員八社と、沖縄の出版社二社が、今まで発刊した本を一堂に並べて即売する。年に一度のフェアは、年を重ねるごとに、多くの方々から期待されるようになった。この機会にぜひ足を運んでいただき、鹿児島を再発見してもらいたい。
 来月は、敗戦記念日と出版フェア。どちらもお忘れなく。

 

『西郷の思想と行動に迫る』(西日本新聞2006年7月9日「版元日記」掲載)

鹿児島県民に、郷土が誇る偉人を挙げろと質問すれば、約八割方が西郷隆盛と答える。
 では、西郷がどのような業績を残し、どんな人だったのかを尋ねると、大方が小首を傾げる。
 かの有名な作家司馬遼太郎でさえ「ついにわからぬ人だ」と西郷を評している。
 八月弊社から「新西郷南洲伝」稲垣秀哉著B5判四六三頁二一〇〇円(税込み)が発刊される。
 著者は、西郷隆盛の魅力に惹かれ、仕事を擲って、西郷の一貫した思想と行動を解明すべく本書の執筆に専念した。年齢は驚くなかれ、三十七歳。
 本書には日本文化『武士道』の真髄も余すところなく掲載されている。
 過日W杯サッカーの日本戦をテレビで観戦していたら「武士魂」とか「サムライ根性」という言葉をマスコミやサポータがやけに使っていた。
 試合中にガムを噛み、茶髪の上に、ピアスをしている日本人アスリートたちに「武士魂」とか「サムライ根性」の言葉を軽々と冠してほしくない。
 こう書けば、若者たちから「あーあ、おじさんだ」と言われるかもしれないが。


『足許から見詰め直そう』(西日本新聞2006年6月7日「海風山風」掲載)

 まもなく六月灯の季節、いよいよ夏の到来だ。六月灯とは鹿児島県の風物詩の一つで、旧暦の六月に行われる祭りである。現在は七月の間に県内各地のお寺や神社で執り行われ、燈籠の光が幻想の世界に誘ってくれる。由来は『鹿児島大百科辞典』(南日本新聞社刊)に詳しい。
 鹿児島市街の中心地には、誰もが知っている照国神社が鎮座する。照国神社の六月灯は毎年数万人が参詣し、鹿児島県で一番賑わう。
 十数年前の祭りの当日、現在は故人となられた片岡八郎氏(弊社で『横目で見た郷土史』を一九九六年に出版)が、この神社には誰が祭られているか参詣人に尋ねた。ほとんどの人が答えることができなかったという。祭られているのは島津斉彬(第二十八代薩摩藩主)。
 私の友人で作家の加来耕三氏が、鹿児島県人と福島県(会津藩)人の違いを比較して、面白く話してくれた。
 鹿児島県人に郷土の偉人を十人挙げなさいと尋ねた。いの一番に挙がるのは誰もが認める西郷隆盛だったそうである。二番目、三番目と答えるうちに五人目ぐらいから、だんだん答えが鈍くなってきて、十人もの偉人をあげることはできなかったという。さらに質問は続く。名前が挙がった偉人は何を為したのか再び尋ねると、ほとんど回答らしい回答は返ってこなかったそうだ。
 福島県人に同じ質問をすると、大半の人が十人以上の偉人を答え、その上にどのような足跡を残して顕彰されているかも、誇りをもって紹介したそうである。
 この違いをどう見るか。
 弊社で今月初めに、『ガンバレ鹿児島―男性編』(税込み一五七五円)を出版した。十人の異業種の方々に執筆していただき一冊にまとめた。貴重な提言が多かったが、先ずはジックリと地元を見詰め直そうというのが、大方の真意だったと思う。
 地方の時代といわれ、景気が回復したと騒がれてはいるものの、我が鹿児島を見る限りでは首をかしげたくなる。足許をしっか見つめ直す時期に来ているようだ。

 

『ロングセラー』(西日本新聞2006年5月7日「版元日記」掲載)

 今回から、時々この欄を汚す事になった。
 私は、鹿児島で女房と出版社を始めてから22年になる。
 屋号は「高城書房」。
 何人といえども初めてわが社の屋号に接して、一言一句
正式に間違いなく、読めた方はいない。大方は、「たかじょ
うしょぼう」とか、「たかしろしょぼう」と読まれる。
 東京の問屋が出版している「あなたはこの本を知ってい
ますか?」という本に、難読出版社名の欄がある。弊社は
ランキングで五指に入っている。
 正式名称は「たきしょぼう」お見知り置きを。
 現在までの発刊点数は、自費出版を省いて一八七点。
鹿児島の方言や歴史物が大勢を占める。
 ほとんど採算割れという中で、ロングセラーも出版した。
「華の時は悲しみの時―知覧特攻おばさん鳥浜トメ物語
―」相星雅子著。初版は一九九二年。今でも一〇〇〇部
以上は毎年売れている。
 来年、石原慎太郎東京都知事が「鳥浜トメ」の映画を作り
上映するそうだ。来年はビルが建つぞ。と、私は早速、皮算
用を始めた。

 

『政治家のはかない運命』(西日本新聞2006年4月19日掲載)

 桜の蕾が芽吹く三月の初旬に、鹿児島人物叢書の第四弾を出版することができた。タイトルは『二階堂進―清貧の政治家』。著者は、二階堂氏と晩年親交のあった東京で活躍する作家・上城恒夫氏。
 二階堂進氏は、大隅半島高山町出身で、副総裁まで登りつめた鹿児島を代表する政治家。二〇〇〇年二月に九〇歳で没している。
 私は、生前の二階堂氏を深くは知らなかった。政治に興味がなかったことと、選挙区も違ったことも相まってのことであった。が、この度の出版を機に、二階堂氏を知るとともに、がぜん政治に興味を持つようになった。
 二階堂氏は、受験失敗を繰り返し、アメリカへ学業の道を探る。日米関係の悪化に伴い、反日感情をまともに浴びる中での、留学生活は、十年にも及んだ。その間、祖母、両親、兄弟との永遠の別れや、馴れない土地でのアルバイトをしながらの生活は、吐血という形で彼の体をむしばむ。苦労の連続ではあったが、生涯をかける仕事として政治家に目覚めさせたのもアメリカであった。
 帰国して、一九四二(昭和一七)年衆議院に初挑戦はするものの、見事に落選。三回の落選をくりかしながらも、一九四六年の初当選以来、十六回の当選を重ね、国会議員として五十年近く国政と鹿児島のために、また世界の平和のために一生を尽くた。
 本書は、政治家の表舞台を書くだけにとどまらず、人間・二階堂進氏の生涯を余すところ無く描ききっている。政治家の方々や今後政治家を目指す方々に一読をお勧めしたい。
 来る五月六日、鹿児島のホテルで、『二階堂進』の本の出版を祝うとともに、著者のご苦労を慰労する会が催される。私は、二階堂氏と親交のあった方々に出席依頼のお願いに動いた。
 ほとんどの方は、喜んで出席をしてくれる確約をしてくれたが、中には過去の人だからと辞退された方もいた。その時、私は寂寞たる思いにつつまれ、政治家のはかない運命を垣間見たような気がした。

 

『出版の難しさ』(西日本新聞2006年3月1日掲載)

 本を出版することは、並大抵に出来ることではない。取材してから、自分なりに構想を練り、活字にしていく作業は、数カ月掛かったり、数十年を要するものまで、さまざまである。
 昨年末に出版した『鹿児島士人名抄録』上野堯史著は、著者が四年の歳月をかけて出版した。
 また、一昨年に出版した『鹿児島方言大辞典』橋口滿著は、著者が高校生時代から方言に興味を持ち、鹿児島県内をくまなく歩き、古老たちから方言を採集して、四〇年の歳月を掛け、上下二巻を出版した大著である。
 橋口滿氏は、長年の苦労が報われ、鹿児島県民表彰や南日本文化賞を受賞することが出来た。
 現在弊社が、創業二〇周年を記念して鹿児島県人物シリーズを計画し、今まで『加納久宣』大囿純也著、『林芙美子』宮田俊行著、『島比呂志』立石富生著の三巻を出版することが出来た。まもなく第四巻の『二階堂進』上城恒夫著を出版する予定である。
 人物伝なるものは、多くの苦労がつきまとう。賛辞一辺倒に書くのであれば問題は無いが。それだけでは本の価値は薄れてしまう。
 書かれる人(人物伝の主人公)が、自分では気付かない所や、誰も知らない側面を、第三者である著者が書いてくれるからこそ面白いし、読者に興味を抱かせる。
 先日手紙が来た。弊社の出版物に対するクレームである。内容の間違いがあると主張した上で、執筆者と出版社は社会への責任がある、プライドは持っていないのか、などと一方的に記されていた。
 読んでくださる方々の要望に、なるべくお応えできるように出版するのであるが、すべての人が納得する本づくりは不可能という意味で、完璧に仕上がる本は皆無と言っていい。私は色々な意見があっていいと思うし、そこから議論が生まれて発展していくことに、出版の意義があると思っている。
 今回のクレームも、内容の間違いや創意工夫の指摘はありがたく受けとめよう。だが、それをもって社会への責任や、プライドの問題まで拡大して攻撃されると、二の句が継げない。常に社会責任を感じながら出版し、そのことにプライドを持つのは当然のことである。
 手紙を読むうちに、誤字脱字が見つかった。もし私がそんなことをあげつらって批判したら、手紙の主はどう受け止めるだろう。批判はよりよい本づくりに近付くための手段であってほしい。

 

『今年の抱負』(西日本新聞2006年1月18日掲載)

 ジングルベルを歌い、ケーキを囲んでチキンを食べたと思ったら、アッという間に新年を迎え、はや、一月も下旬に差しかかろうとしている。
  今年は戌年。申年の私は、犬猿の中の犬を祀る今年は、期待薄の気持ちで元旦を迎えた。
  初日を拝むことは出来なかったが、雑煮とおせちを食べた後、神社に初詣をして無病息災の願を掛け、おみくじを引いた。
  ここ数年、大吉には縁がなかったが、今年は大吉を引き、期待薄の気持は一気に期待大に変わった。現金なものである。
  早速自宅へ帰り『犬』を辞書で引いてみた。@イヌ科の家畜。原種はオオカミと考えられている。A飼い主になついて離れず付き従うことから、煩悩の比喩としてもいう。Bまわし者。間者。C岡っ引きのこと。D警官をいう隠語。E御殿女中に召し使われる少女。F人を卑しめ、ののしっていう語。等々。
 諺もいくつかあった。
 あまり褒めたものは多くはなかったが、犬一代に狸一匹。(犬が一生の間に、狸のような獲物をとるのは容易なことではない、遭遇しにくいこと、珍しいことのたとえ)。
 犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ(犬でさせ三日買えば、飼い主になついて恩を忘れない。まして、人間は恩を忘れないのが当然である。恩知らずをいさめる言葉)。等と含蓄のあるものも見受けられた。
 世間では、新年早々暗いニュースがマスコミを賑わせ、不安な一年を予感させているが、
 犬三年人一代。(初めは、犬畜生と軽蔑されても、我慢して過ごし、残りの一生を不自由なくおくる者もあれば、初め贅沢に暮らし、残りの一生を犬畜生のようにみじめに過ごす者ものもあるということ。節約のすすめ)。の気持をモットーにし、一年をつつがなく過ごそうと誓いを立てた。
 今年も駄文を皆様に晒す犬羊之質 けんようのしつではございますが、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 『資料費減額に再考を』(西日本新聞2005年11月23日掲載)

  弊社では数年前まで、新刊を少なくとも初版二〇〇〇冊印刷していた。ところが、これは売れると思った本でも初版一五〇〇冊、ともすれば一〇〇〇冊も印刷せずに発刊する場合も、最近ではときたまある。
 原因は読書人口の減少。煽りを受けて本が、昔ほど売れなくなったからである。
 数カ月前地元紙に、全国的に活字離れが進み本が売れないという統計と、その対策として、「文字・活字文化振興法」が成立したことが掲載されていた。
 新法の中身は、公立図書館の適正な設置や、学校の司書教諭の充実を行政に求めることを柱としている。また、読書週間初日を「文化・活字の日」とすることも決めたという内容だった。
 並行して同紙には、昨年鹿児島県が行った読書調査の結果も掲載していた。
 鹿児島県内で、中学校三年生が一カ月間に読む本の冊数は平均が三・二冊。驚いたことは、ひと月に本を一冊も読まない生徒が十二%もいるという結果だった。
 さらに追い打ちをかけたのが、図書館の資料費が財政難を反映して、八年前の半額になっているといことだった。
 出版を本業としている私は、「文化・活字の日」の設置は大いに喜ばしいことで歓迎したいが、資料費の減額は、その新法の目指すものと相反するような気がして納得できない。
 資料費の減額は図書購入費が削られ、必然的に図書館の蔵書が少なくなることにつながる。蔵書が少ない図書館は利用価値が薄れることは言わずと知れたこと。
 読書人口を増やし、活字離れを食い止めるためにの対策を考えるのであれば、資料費を減額をするのではなく、反対にもっと予算を増やし、個人では買えない書物が図書館を利用すれば、いつでも手に取れる。などの措置が効果的だと考えるが、早計か。
 再考を行政に期待したい。


『34年ぶりの再会』(西日本新聞2005年9月28日掲載)

 今年は、私が中学校を卒業してから三十四年になる。年齢も五十歳。八月の土曜日に、五十歳を記念して同年会が開かれた。
 故郷の知覧に住む有志が発起人になり、一年前から段取りに掛かり、名簿集めや住所探しと、東奔西走してくれた。お陰で卒業生一二〇人中、五〇人もが集い先生方も三人臨席して下さり、鹿児島市内のホテルで盛大に開催された。
 私は久し振りの同年生との再会に、嬉しさにはやる気持ちを押さえることが出来ず、開演一時間半前には会場に着いた。
 まもなく懐かしい顔が続々と到着する。鹿児島弁丸出しで「お前は誰やったけ?」「頭がわっぜいか薄なったが」「おはんな昔から美人じゃったが、今も全然かわっちょらんな」等など、知らない人が聞けば、セクハラではないかと思うような会話が、同年生のよしみでポンポン飛び出し、宴会前からホテルのロビーは盛り上がった。
 開演に先立ち皆で記念撮影をし、亡師、亡友へ黙祷を捧げたが、すでに四人もの同年生が逝去されていたことには驚いた。
 発起人代表の挨拶に続き、乾杯の音頭と共に宴会が始まったが、食事そっちのけで、早速旧交を温める。二時間の予定の宴会は、延々と四時間も続き、外では九州最大の花火大会が開催されていたが、花火の音を打ち消すほどの盛況だった。別れを惜しみつつ五年後の再会を約束して、九時にお開きとなった。
 その後、男数人で二次会に繰り出し、家に帰り着いたのは朝の一時。寝床についたが、興奮してなかなか寝付けない。
 今夜の感激にもっともっと浸りたく、宴会中に焼き増ししてくれた記念写真を、一人で何回も何回も見た。喜怒哀楽を乗り越え、一所懸命生きてきたのだろう。どの顔も、中学時代の面影は残っているが、重みのある凛々しい顔に見え「大病するなよ、幸せに暮らせよ、五年後の再会をまた楽しみにしているよ」と、写真の一人ひとりに話かけることだった。

 

『母ちゃんに語れよ』(西日本新聞2005年8月10日掲載)

 「母ちゃんに語れよ」堀之内順子著が先月弊社から出版された。
 本の帯には、「心の叫び聞こえますか? 順調に育っていた子どもが突然学校に行かなくなった。一体なぜなのか。黙する子が唯一吐き出すのは親への凄まじい冒涜の言葉だった。挫折を繰り返すわが子をいかなる時も見守った母の慟哭のノンフィックション」と印刷されている。
 平穏な日々を過ごしていた夫婦に、子どもの下宿先の主人から、夜更けに電話が掛かってきた。
 「けん君が学校に行きません。早急に出てきてください」
 悲劇が始まり、生活が一変する。
 日を追う毎に心を頑なに閉ざしてゆくわが子に、どのように接し、どう励ましてやればよいのか戸惑う家族。
 高校を十年後に卒業し、活路を求めて兄を頼り都会に出て行ったが、予備校へ通っても、就職しても長続きしない。安否を気遣い母親が電話をすると、
 「お前の手紙など誰がよむかぁ。配達されたらそのとき破り捨てる」という罵声。
 「けんよぉ、何でもかあちゃんに語れよ」
 何百回心に叫んだことか、でもこの言葉を口にすることはできなかった、と著者は記す。再出発して六年にも満たないうちに彼は写真となって鹿児島に帰ってくる。
 元小学校長であられた著者のご主人が、「私の子どもがまさか登校拒否なんて考えられませんでしたよ、教師として失格だったかも」と、さりげなく語った言葉に、胸を打たれた。
 今、大きな社会問題となっている不登校。子どもと家族の葛藤を、隠すことなく著した本書は、多くの人に福音をもたらすことだろう。
 明後日の十二日、この本の出版パーティーが、鹿児島市内のホテルで開催される。
 亡きお子さんの冥福と、ご夫婦の今後の平穏を心からお祈りしたい。



第二の人生に乾杯。(西日本新聞2005年6月22日掲載)

拝啓 梅雨の候。先生におかれましては、お元気でお過ごしのこととお察し致します。
先生が教員を定年退職されて早三ヶ月、月日が経つのは早いものです。
 思い起こせば、先生が初任地として知覧小学校へ赴任されて来られたときは、私が小学校四年生で一学期の途中でした。
 小柄な体に少し大きめの紺色の洋服。そして独得の黒縁の眼鏡を掛けられた姿は、インテリで怖そうな感じがしたものです。
 私は先生のクラスには一回もお世話になったことはありませんでしたが、友達の永山君と、ご自宅にちょくちょく伺がったものでした。プライバシーというものはお構いなしに、朝早くから玄関先で「せんせー、せんせー」と隣近所に聞こえる大きな声を出して、まだ就寝中の先生を起こしたことも度々でした。
 公園で花見をしたり、近くの川で魚釣りをしたり、家の中ではトランプゲームをしたことなどを覚えています。昼食は先生の手作りのカレーライス。子どもだった私には少し辛かったような記憶があります。
 魚釣りをしたときのことは、先生が写真を沢山撮ってくださったお陰で、今でもアルバムを開くたびに鮮明に甦ってきます。
 忘れられない一番の思い出は、下校途中に先生とバッタリ会い、私にお菓子と当時は珍しかったバナナを下さったことです。大急ぎで持ち帰り、姉と分けあって食べたバナナは美味しかった。
 子ども達の心の奥にいつまでも残る先生像とは、とても怖かったか、とても優しかったかの二通りと言われています。先生はどちらも備えていたと私は思っています。
 これまでの教職の御苦労に、改めて感謝と御礼を申し上げます。今後はお体にご自愛下さり、いつまでもお元気で第二の人生をお過ごし下さい。
 先生の第二の人生に乾杯。     敬具
 坂元久代先生へ      

 

焼酎ブームに一喜一憂(西日本新聞2005年5月11日掲載)

 世の中変われば変わるものだ。
数年前までは、芋臭いとか、田舎臭いなどと言われ、見向きもされなかった芋焼酎が、健康ブームやマスコミの影響を受けて、清酒を上回る勢いで全国に広まった。
 全国で愛されるようになった芋焼酎を、鹿児島の人間として喜んでいるが、心配もある。
 地元で入荷しにくい銘柄が出てきたことだ。売れている今はいいが、ブームが去った後、地元の人たちまでもがそっぽむく事態がくるのではないかと危惧する。
 鹿児島の人たちに愛され、育まれてきた芋焼酎を、ブームが来たからといって、高がつく県外に出荷して地元をおそそかにするのはけしからん。そんな声を至るところで耳にするからである。
 たしかに県内ではあまり見ることの出来ない稀少価値の高い芋焼酎が、県外居の酒屋に置いてあり、目玉が飛び出るくらい高い値段客に提供されているのを何度となく経験した。
 しかし、このような問題を焼酎メーカーにだけ押し付けてよいものだろうか。
 弊社は出版を手がけて創業二十一年になる。現時点でタイトル数一七〇余を出版した。残念ながら一万冊以上(ベストセラーといわれる)売れた本は一点しかない。
 鹿児島に拘り、鹿児島の人たちに喜んでもらおうと思うのだが、思ったようには地元で評価されない。反対に県外の方々が高く評価してくれて、よくぞ出版してくれた、と言ってくれたことも度々だ。また鹿児島県内よりも、県外で多く売れた本も数点ある。
 弊社の本が、全国でミリオンセラーになった夢を見たとしよう。県外の書店から注文が殺到して、地元の書店に配本できないことを考えたとき、私は県外の書店を無視して、地元の書店優先で配本できるだろうか?
 焼酎と弊社の本を比較することは論外と分かってはいるが、いまの焼酎ブームを一喜一憂している昨今である。

 

外見より中身で(西日本新聞2005年2月9日掲載)

 人はえてして、外見でものを判断する癖があるようだ。
 私は若い頃から、年齢よりも四〜五歳は必ず老けて見られた。四〇歳を過ぎた頃から、老けて見られる年齢差がもっと拡がった。十歳以上の差なんて度々だ。理由は分かっている。年々薄くなってくる頭髪に原因があることを。
 女房は「肌の艶をみればわかるのに、みんな見る眼が無いのよ。若く見られるより、老けて見られる方が、しっかり見えていいじゃない」と慰めの言葉をしばしば掛けてくれる。が、五十路を前に、老けて見られるより、若く見られる方がやはり嬉しい。
 本もしかり。外見で判断されることが多い。  本をの売れ行きは、内容によるところが大きいのはもちろんであるが、それだけではなく、タイトルの付け方や表紙デザインの出来不出来も影響する。
 読者が書店に行き数ある新刊の中から、どれを手にするかは、先ずはマスコミで取り上げられ話題を呼んでい本らしい。次に好きな作家、そしてタイトルやデザインの順番という統計が、某新聞に出ていた。
 内容に自信を持って世に送り出した本も、タイトルの付け方がダサイとか、表紙デザインが古くさいという理由で、全然売れなかったということを、何度となく経験した。
 本を発刊するたびに、私は書店を駆け回る。自社の本は、他社の本と比較し、タイトルで負けていないか?また表紙デザインは目立ち輝いて見えるか、外見調査である。
 しこしこと本造りをしている地方小出版社には、潤沢に資金があるわけではない。少ない予算で最大限の効果を出そうと苦心はしているが、大きな出版社の本と比較すれば、外見が見劣りがすることは否めない。
 外見によって評価された本が、弊社の倉庫にはうずたかく積まれている。いつか、中身が評価され、日の目を見ることを楽しみに、今日も外見より中身充実の本造りに悪戦苦闘の毎日だ。